2011年3月31日木曜日

一時閉店いたします 


いよいよ明日告示で選挙本番。
ですから、ブログもツイッターも10日程 お休みです。

記念すべき(?)選挙前最後のブログ。
いつもは自分の思いを日記のように書いていますが、今日は「みんなの思い」を聞いてきました。

「2・3日前から、ドキドキして眠れなくなってきた~」 by SOさん。
「当選するぞ!俺の辞書に次はない!」 by SUさん。(私の思いもプラスしました)
「はい がんばります。(コメント)おもしろくね~」 by TAKさん。
「勝たせた~い」 by Hさん。
「9日間 その美貌が保てますように」 by TANさん。
「半年間 太田さんのブログを見てきて、太田さんてこんなカンジ・・略・・
 雑草っぽいところが素敵。辛いことがあったら、思い切り悲しんだり、怒ったり、
 でも嘆くことが終わったら 立ち上がり前に進む。
 小さい良いことも見落とさずに、しあわせな感じを楽しむ・・略・・
 温室で育った整った美しさではないけれど・・略・・ほめてるんですよ~」 by Mさん。

ご協力ありがとうございました。
明日からの、ラストスパート。 みんなが、今までの疲れをかかえたままゴールをめざします。
カラダに気をつけて、がんばろぅね。

正しいキレ方


すべてが「茶色だけ」になってしまうお話。フランスの人が書いたようです。
主人公の「俺」と「友人」の日常生活・・。
いつしか、犬・猫・新聞・服・政党など、すべてが茶色になっていく・・どころか、茶色以外は存在が許されなくなっていくのです。
「茶色の猫と一緒なら安心」と、自分から茶色の猫を飼い始めます。
でも、法律は過去にさかのぼり、前に茶色以外のペットを飼っていた人まで逮捕されてしまうのです。
「あぁ 最初のペット特別措置法ができた時から、警戒すべきだった」と後悔しますが・・。
高橋哲哉氏は、メッセージで「やりすごさないこと、考えつづけること。 勇気をもって発言し、
行動することは、考えつづけることのうえにたってのみ可能」と結んでいます。
(大月書店 1000円+税)

探しきれませんでしたが、「正しいキレ方」・・というタイトルだったか・・帯に書いていたんだったか・・この本では、日常の怒りはどこから来ているのか、生きづらさの原因はどこか・・。
結局、正しいキレ方とは、選挙で自分の意思を表明する、1票を投じることではないか・・とか何とかという内容だったと思います。

日本のこれからを考え、選択する大事な選挙です。
考えて、考えて、正しいキレ方を。

2011年3月30日水曜日

つなぎ法案

「(子ども手当て)つなぎ法案の容認は納得できません。救済にまわすことが必要ではないでしょうか」と、メールをもらいました。
日本共産党は、29日衆院厚生労働委員会と本会議でおこなわれた、子ども手当てつなぎ法案の採択に賛成しましたので、そのことと思います。
東日本大震災で被災された方たちを思うと、何よりもまず支援したいと、思いますよね。

もし、つなぎ法案が成立しないと、児童手当に戻ります。
中学生は支給なし。3歳~小学生は(1・2子)5千円と、少なくなります。
私は、先月子育て中のママたちの集まりに参加させてもらいました。
その時、「1月から、夫の給料が減りました。年少(16歳未満)扶養控除が廃止されたからだと知ってビックリです。来年の6月からは住民税の増税もあると聞きました。子ども手当ての財源にするという増税ですが、子ども手当てがなくなったら増税だけ残るのですね」と、怒っていました。

ばらまき といわれることもありますが、財源のため増税になっているのも、まさに子育て世代です。
右のポッケからお金をとって左のポッケに入れるようなものと、言った人もいました。

日本共産党は、1年限りのこの法案を、当面13000円で安定的な制度にすること。
現物給付だけでなく保育などの子育て施策を充実させることを求めています。

これこそ、ばらまき 「大企業・大資産家への減税や優遇税制」をやめて、復興にまわすべきです。
大企業の法人税5%減税することで、1兆5千億円。
株の儲けにかかる税金20%を10%にまけて5千億円。
これから新しい原発をつくるための予算とか、グアムに米軍のために基地をつくる予算とか・・は、見直して。
赤字国債ではなく、復興国債を発行して大企業の内部留保で引き受けてもらうのがいいと思うのです。
復興にむけて、予算の組み換えと大規模補正を組んで、復興に全力をあげると考えているのです。

あっ 前回も書きましたが、(申請した9つの政党に)来月支給の政党助成金は、ぜひ「復興にまわそう」と、断ってほしいです。

国難の時です 


国難・・・国家の大きな危難。
危難・・・命にかかわるようなひじょうに危ない災難。
      ひじょうにあぶないこと。命にかかわるようなわざわい。災難。

東日本大震災は、国難というべき戦後最大の大災害となりました。
「国難」 文字で見るとイメージできるけれど言葉ではイメージしづらい、普段は使わない言葉です。

救援は一刻も早く、一人でも多く。
復興には、時間もお金もかかります。
日本経団連の会長は、個人的には・・と、しながら「法人税減税はやめていい」と、言いました。
法人税5%減税で、1兆5千億円です。
世界中から、心配の声や支援をもらっているのですから、政府はアメリカに、
「復興のためのお金が必要なので、思いやり予算やグアムでの米軍基地建設費などの
米軍経費3189億円は出せません」と、言ってはどうでしょうか。
アメリカ政府が「だめ」と言ったら、アメリカ国民も、世界中の国からも、「ひどい!」と、ブーイング
ではないでしょうか。国際世論が後押ししてくれますよ。

タイが「発電所」を無償で貸し出してくれるなど、世界の国々が支援の手を差し伸べてくれている時、
1月に申請を出した9党は、4月に政党助成金を受け取るのでしょうか。
総額320億円 4月に1回目の80億円の交付です。
国難の時なんですよ!

2011年3月27日日曜日

黒い手帳

25日、日本共産党元札幌市議会議員の菊田勝雄さんが亡くなり、
今日「お別れの会」が、おこなわれました。
遺影とともに、懐かしい写真がいくつも映し出されました。
その中に、小さめの黒い手帳を開いて、誰かと話している菊田さんの写真がありました。

私が、議員だった菊田さんと会ったのは、確か・・1991年頃。
懇談会でのことでした。
その冬は大雪で、子どもたちの通学路がとても危険でした。
私が、通学路が心配なんだと言うと、菊田さんは、「きっと、他にも心配だと思っている人が
いるんじゃないか・・土木に行って、お母さんたちの声を伝えよう。」と、黒い手帳を開いて、
「自分は〇日あいているけれどどうか」と言ったのです。
びっくりしました。
政治とくらしが、こんなに身近だったのか、議員ってこういう人だ!と、
うれしかったのを覚えています。

実は、私はその数日前 ふたつの他党の懇談会にも呼ばれ参加していました。
何か聞きたいことはないかと言われ、「通学路が心配」と言いましたが、
「困ったらおいで」「わからない」との答えだったのです。


黒い手帳を開いている、写真の中の菊田さんは、あの日の懇談会と同じでした。
菊田さん
私は、あの懇談会のあと 菊田さんのように、困った人の話しを聞いて、
解決のために一緒に行動する人になりたいと思ったのです。

・・見守っていてくださいね。











 

2011年3月25日金曜日

希望











駐車場から事務所への道、鳥も犬も歩いているんだぁ。


いつも私が、宣伝をする時はのぼり旗を、救援募金の時は募金箱を持って、私のそばで支えてくれる70代のKさん。
先日、ひとりで歩いていると 高校生の男子3人が「あれ!?おばさん どこかで見たことある・・」
と言うのだそうです。
驚いていると、「あぁ 太田秀子のとなりにいるおばさんだ!」「そうだ」と、いう事だったそうで、
うれしいやら、驚くやら・・。と、教えてくれました。



昨日、Kさんと私は小さな春を見つけて、しゃがみこんでいました。
被災地では、しばらくこんな光景はないなぁ・・とか、でも春は来る・・とか、何を見ても被災者への
思いがめぐります。

高校生と新芽。
近い未来の頼もしい希望を感じます。

2011年3月23日水曜日

放射能汚染

昨日の演説会 笠井あきら参議院議員


東京で、水道水から放射性ヨウ素が検出されて、乳児に水を飲ませないでと言う。
テレビでは、インタビューされた女性が「1歳になったこの子は、乳児というのか・・」
と不安そうに言いました。

私は、チェルノブイリ原発事故があった1986年4月に、子どもを生みました。
あの時、日本の母親の母乳からダイオキシンが検出されたと報道され、
とても不安だったことを思い出します。
それでも母乳を与えるしかない赤ちゃん・・。
泣きたい気持ちでした。
見えないものへの恐怖・・。
ですから、泊原発は、建設の時から反対をしてきました。

放射能汚染
悲しい事態になりました。
自民党政権の時は、この先日本に、原発をさらに「9」造る計画でしたが、
民主党政権になって計画は「14」に増えています。

危険と隣り合わせの暮らしではなく、安心安全に暮らしたい。
そのためには、原子力行政・エネルギー政策 どうするのがいいか考える時です。

吹雪











ぶれまくりの写真(笑)
〔左〕 夕方、一時すごい雪になりました。カメラウーマンは、「写真も吹雪いている」と、
芸術家っぽい事を言いましたが、強風で手元がぶれたのだ!
〔右〕 移動中 また一瞬吹雪 私も・・「写真も吹雪いた」

2011年3月21日月曜日

手から手へ 心から心へ


太田事務所前の募金箱(東日本大震災の救援募金)に、寄せられた封筒。
こう書かれています。

東日本大震災被災者の皆様へ 1日も早い復興を願っています。
厳冬の被災地 テレビや新聞報道で町の大半の壊滅状態を見て、胸がしめつけられます。
福島原発事故。北海道の泊原発は問題ないのか、チェックが必要と感じます。
私は、1981年10月16日 北炭夕張新鉱大災害の時に
全国の皆様から、心あたたかい物心両面のご支援を受け、困難をのりこえ今日に至っています。
全国の皆様への感謝の気持ちは、今も変わりありません。
わずかですが、被災者へのお見舞いとさせていただきます。

感動しました。
このお手紙も、被災者のみなさんに届くように工夫します。

2011年3月20日日曜日

しんみり 月見


夕べの月 あまりにもピカピカしているので、しばらく見ていました。



昨日、出先での待合室。
隣に座っていた人が席を立ったので、なにげなく横を見ると・・。
『私だ!!』
思わずパチリッ。 ちょっと恥ずかしくて、そっと席を立ちました。

2011年3月19日土曜日

知恵と工夫と

スーパー前で、募金の訴えをしていると、お買い物に行く人も、お買い物帰りの人も募金に協力してくださいます。 スーパーの中で働いている美容師さんや、
向かいの工場からは、作業服を着た人が一人ずつ来てくれました・・
工場を留守にできないので順番に来てくれたのでしょうか。
八百屋さんは、「野菜は届くけれど、いつもと違う販路で来るから運賃が高くて大変」。
コールセンターは、今の時期「商品を買って・・」という電話を自粛。働く人は自宅待機で収入減。
大学進学が決まって喜んだのも、つかの間・・仙台で働くお父さんの仕事が、これからどうなるのか。
東区でも、不安が広がっています。

道内では、津波で「カキの養殖ロープがからまって、もう使えない」などの養殖施設の被害が
16億円強(17日現在)。
真下道議・松永候補が厚岸・浜中町に行って、現地を調査。
漁民の方たちから惨状を聞いてきました。
花岡道議が、道議会の経済委員会で
「被災したコンブ・カキ・ホタテなどの養殖業者に緊急雇用交付金を活用できないか」提起しました。
経済部労働局長は「緊急雇用交付金による事業が必要な場合は速やかに実施したい」と
活用する考えがあると答弁しました。
被災者の遠方への避難も始まり、札幌に来られた方もいます。
議会が知恵と工夫を発揮する時。

大地震から1週間・・救援を待つ人も、避難所のみなさんも、救助にあたっている方たちも、
原発事故現場のスタッフのみなさんも・・心身ともに、かなりきついはず。
すべてが、時間とのたたかいです。

2011年3月15日火曜日

したいこと、できること。


11日朝 震災が起こる7時間程前の空
 1月に赤ちゃんが生まれたばかりの女性からメールをもらいました。
「テレビで、赤ちゃん連れの被災した家族をみると、涙がでます。
ミルクをあげるのにお湯がない・・オムツもたりないでしょうし、
汚れたオムツでは体が冷えるし・・ママも赤ちゃんも悲しい・・。
オムツとミルクを送りたいと思ったけれど、個人で送っても仕分けに困るし、
募金がいいんだと知りました。
でも、募金詐欺が流行っているとか・・。
太田事務所で募金を集めているんですね。募金しますので、お願いします。」
という内容でした。
ありがとうございます。

今日 日本共産党札幌市議団は、
市長に「東日本大震災の被災者救援、市民の安全に関する緊急要望」を提出しました。
被災者支援の強化と、札幌の危機管理体制の総点検と強化、原発依存をやめること。
札幌市は、被災者の方たちや、医療の必要な方たちを受け入れる体制をとっていますが、
身内を頼って札幌に来られた方がいた場合の支援なども検討が必要では・・など
具体的に要望しました。

明日は、8:00から地下鉄北13条駅と、その後 北光線でみなさんに募金のお願いをします。   ☆10:25 50条ラッキー前   ☆10:50 42条ドンキホーテ前    
☆11:20 30条ハッピー前   ☆11:40 18条スーパーエース前   
☆12:00 13条光星フードセンター前
ご協力よろしくお願いいたします。

2011年3月14日月曜日

つながる思い

今朝8時 地下鉄環状東駅。
出勤途中のみなさんに、東日本大震災の救援募金のお願いをしました。
忙しい朝なのに、足を止めて募金してくれる方・・ごくろうさまと声をかけてくれる方・・。
ありがとうございました。
夕方5時半 地下鉄元町駅でも募金のお願いをしました。

事務所前の募金箱に小銭を入れてくれた女性。
ありがとうございますと声をかけると、「大変だね、大変なことになったね」と言いました。
訪ねた先では、「私は奥尻での地震を体験したので、恐怖が蘇る・・。
おにぎり作って届けてあげたい・・」と、涙を浮かべた女性。
玄関に避難用の荷物を置いていたご家庭もありました。
スーパーで知人の女性が、たくさんの買い物をして、ダンボール箱に積めています。
千葉に住む子どもさんが、「スーパーに何もない」というので、送ってあげるのだそうです。
身内や知人が被災された方も、知り合いはいないという方たちも、
みんなが胸を痛め、心配しています。


みなさんにご協力いただいた募金は責任を持って届けます。
明日からの救援募金のお願いにも、ご協力ください。

2011年3月13日日曜日

大震災


恐ろしくて、悲しくて、腹立たしい 東日本大震災。
被災者のみなさんに、心からお見舞い申しあげます。

津波・・
原発での被爆・・
わかりづらい政府の記者会見・・
アナウンサーが「説明しますと」と言っています。

一刻も早く、一人でも多く救助できますように。

2011年3月8日火曜日

Trans-Pacific Partnership Agreement  ⇒ TPP


『TPPストップさせるためにも、議員になってください』と、メールをもらいました。
私は、昨年11月の区民報(赤旗しんぶんに折り込む東区版ニュース)に
「瑞穂の国」という題名で原稿を載せました。

 11月12日 農・林・漁業、経済界、消費者が全道から1700人、札幌市民ホールに
集まり「この国のかたちを問う!道民総決起大会」を大成功させました。 ・・略・・  
農協組合中央会、農協青年部、漁業組合から怒りの発言。
「PTT」とか「PTP」とか、言い間違えながらの発言を聞いて、FTA だ EPAだと次から次へと
覚える暇のないスピードでやってくるアルファベット。  ・・略・・
 宣伝でTPPの事を話していたら、下校中の小学生女子が「エッ!TPP?私もダメだと思います」
と、右手を出して握手をしてくれました。
この子たちの未来に、瑞穂の国を手渡したい。
と、いう内容でした。

あれから、4ヶ月。
北海道では、180自治体中175自治体が、TPP参加反対の意見書を可決しています。
札幌市議会でも、TPP参加反対の意見書を可決していますが、
この時、決議に反対したのは民主党だけでした。
まさに、北海道まるごと反対の表れです。

最近では、PTTと言う人はいなくなりましたが、
集まりに参加すると、聞かれる声は「TPPがよくわからない」ということ。
そこで少しTPPについて。

世界の国々は輸入品に税金(関税)をかけることで国内産業を保護しています。
TPPで貿易自由化をひろげるとは、関税をなくし自由に貿易できる環境をつくることです。
TPPの特徴は、
農産物だけでなく、
地場産業が担ってきた繊維・皮革・履物などの分野も、
金融や保険、医療の分野へ外国企業が参入するための規制緩和も、
労働者の移動の自由、賃金や労働条件のいっそうの悪化も、
食や健康、暮らしの安全を守る日本独自の基準の撤廃も、
などなど・・・・
たっくさんの分野を対象にしているのです。
まさに、国民の暮らしが壊され、国のあり方を根本から変えてしまうほどのことなのです。

よくわからないまま、国民にとっての悪政が決まってしまい、
実施されてから「いつ決まった?」なんてこと 思い当たるのではないでしょうか。
国民が理解できるように、丁寧に説明するのがホントでは?
政府の「6月には結論出そう」=国民が理解しないうち決めちゃおぅ
ではダメです。
国のあり方を決めるのは国民の世論と運動です!

100円文献パンフ


2011年3月7日月曜日

今朝


たくさん作った「切干大根」を持って家を出ました。
朝の宣伝場所に着いて、車を降りたら・・!?・・屋根の上に「切干」  ガーン!
たくさん荷物を持って家を出て、車の鍵を開けるときに困って、屋根に置いたのでした。
忘れたまま、走ったんだ~。
行ってきま~すと、手を振った時の近所の人。     
車線変更した時、後ろの車に乗っていた人。
信号待ちで止まっていた時。                  
思い出せば、恥ずかしくなります。
なにより、落とさなくてよかった・・。





春になるかと思ったのに、寒さ厳しく 今朝はダウンジャケット。
白衣には見えないよね・・。白いダウンで熱い訴え。



金倉(かなくら)さんが、「除雪してないよ」と、いいました。
話しながら 『フンっ!』と力が入る時 塩梅悪いのです。



宣伝後 パンと紅茶でひと休みの時間です。

2011年3月6日日曜日

郵便です


ちょっとした連絡やお礼は、ポストカードを使います。
電話やメールだと早いのですが、時間によっては迷惑をかけます。
手紙だと早起きした朝や休み時間に、ちょちょっと書いて出先のポストに入れればいいのですから便利です。
昨日も、ニトリ文化ホールの帰りに大通りのポストに書類の封筒を入れました。

昨年 事務所開きの時、「初めてお会いします。○○です」と声をかけてくれた方がいました。
私は「あっ!ドラえもんの切手の○○さん!初めまして」と、すぐわかりました。
署名や、カンパを送ってくださる時、いつも切手がドラえもんなのです。
懐かしい人に会えたような、ほんわかしたのを思い出します。

先日 若い女性にお礼のハガキを出したら、今日お返事がきていました。
「プレッシャーもあるでしょうけれど、みんなで支えて行こうと思っているよ」
という、かわいい字がうれしかったです。

数日前、50円切手で封書が届き「郵便番号は機械で読取るんだよね。どうして郵便局は
わからなかったんだろう」「不思議だね」などと、Sさんと話していたのですが・・
夫に自慢(?)したら「消印押してないしょ。切手を剥がした形跡もある。ポストに入れないで
届けてくれたんじゃない?」と、名探偵コナンのように腕組をして言いました。
・・・・・・・ホントだ・・・・・・
そのお手紙には
悲しいことがあった時も、ずっと手紙や電話で支えてくれた恩師に、
お礼の言葉をさがしていたら、「あなたが元気でいてくれることと、
あなたの近くの共産党の人を応援してあげてほしいこと」と、言ってくださったのだそうです。
知らない同士が、つながっていく温かさをくれたお手紙に、とても感動しました。
今 ゆっくりお返事を書いています。

2011年3月5日土曜日

SPもびっくり!!


ニトリ文化ホールで演説会を行いました。お話しは志位委員長。
私たち候補者からも、あいさつをさせていただきました。
ご参加いただいたみなさん、ありがとうございました。

志位委員長は、東京へとんぼ返り。
舞台から降りて来たところで、まちぶせして1枚『カシャッ!』
1枚なのに、ぶれてなかった!

大あわての私は、近くにいた道委員会の委員長に「撮ってください」「はやく~押して!」
私以上にあわてていたのは、SPだったかもしれません・・(笑)

前回の選挙で運転手をしてくれたFさんが、会場で声をかけてくれました。
ふたりで、うるうる・・。(うるうるの理由は2月6日ブログで・・)
白髪になっている彼に「大人になったね」なんて、トンチンカンな事を言い、
でも彼は、ニコッとして「事務所に行きたいけれど、行くタイミングがわからなくて・・」
「電話くれたら、事務所で待ってるよ。」「駐車場ある?」「あるよ」・・・・。
あなたの来たい時でいいよ、待ってるね。


舞台裏でスタンバイの時
西区の田中けいすけさんは、舞台袖から志位さんを撮ろうとしています。
彼のブログには後姿の志位さんが載っているかも・・。

2011年3月4日金曜日

小1時間クッキング


さぁ早く 晩ごはん作ろう! 最初にお米をといで早炊きスタート。
何があったっけ・・あ!切干大根・・これにしよう。 えっ?
ここにもある・・その下にもある・・おぉ!おぉ!  
消費期限も危ないし、いっぱい作ろう。
いっぱい、水につけて戻したのに・・「あげ」がない!
大豆の仲間っちゅうことで、大豆のドライパック缶を入れてみたけれど・・。

春雨も、形の違う小袋に入ったものがいくつも。
春雨とひき肉の煮物を作ろう。
ネギがない分 しょうがを多めに。
ゴマ油がない!もとはゴマだったちゅうことでゴマを入れてみたけれど・・。
(ゴマ油があったので最後に入れて)

冷凍しじみで味噌汁を作り、昨日の残りの鶏手羽の煮物で一丁上がり。
ご飯の炊き上がりと同時に洗い物も終わり、すばらしい出来ばえであった!

しばらく続くなぁ 切干大根・・・・・。

2011年3月2日水曜日

彼岸荒れ


春にむかっているなぁ・・と思う温かい日が続いたので、今日のように春はまだだなぁと感じる日は、寒さがきつく感じます。先日お会いした70代の女性は、「昔から、彼岸荒れというのがあるから、お天気は3月に荒れるんじゃないかしら」と言っていました。

明日は雪が積もり、気温も下がるようです。

くらしも、なかなか温かくなりません。
今日は、朝から相談の電話が入り、一日続きました。
一日1・2件という事はよくありますが、今日は「これで解決しました」がひとつ。
あと4件のうち3件は、出先から急いで訪ねるなど、とても深刻でした。
みんな、「もう少しがんばろう・・」「春になったら・・」と思ってきたのです。
けれど「もう少しがんばれるはず・・」と思うときは、すでにどん底ということが多いのです。
春になったら・・という期待は、具体的なものがあるからではなく、願いでした。
「春になったら仕事の見通しがたつのでは・・」
「もう少しがんばれば、いいきざしが見えてくるかも・・」

がんばってきた緊張がほぐれたように、ホッとした顔になると涙がでたり、笑顔がでたり。
みんな大変、国も大変なのに・・と、ガマンすることが当たり前になっているのかもしれません。
「大変なの、助けて」と言っていいのです。

みんな大変、国も大変の原因は何なのか、解決するにはどうするのか声を上げていいのです。